斎藤義龍さいとうよしたつ)” の例文
新字:斎藤義竜
なぜならば、去年八月、斎藤義龍さいとうよしたつの病死と聞えたのは、その後、敵の戦意や諜報ちょうほうから見ても、もはや確実なことだったからである。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寄手よせては、稲葉山の斎藤義龍さいとうよしたつの兵だった。道三秀龍どうさんひでたつの居城鷺山さぎやまおとして、道三の首を長良川へ斬って捨てた余勢の軍が、ここへ殺到したものである。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「父は、小野政秀おのまさひでと申し、もとは斎藤義龍さいとうよしたつさまの家臣であったと聞いていますが、幼い時に、戦死しました」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
稲葉山いなばやま斎藤義龍さいとうよしたつ養父ちち道三山城守どうさんやましろのかみが、自分を廃嫡はいちゃくして、二男の孫四郎まごしろうか、三男の喜平次きへいじをもり立てようとしているのを察して、仮病けびょうを構えて、そのふたりを呼びよせ、これを殺してしまった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)