庚戌こうじゅつ)” の例文
慈ソノ意ヲ察シ声ヲはげまシテ発ヲ促ス。つい永訣えいけつトナル。余ヤ庚戌こうじゅつノ歳ヲ以テ金城ノ官舎ニ生レ而シテ今コレヲ金城ノ館ニ聞ク。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
予(蒲松齢ほしょうれい)は庚戌こうじゅつとし、南に遊んで泝州に往き、雨にへだてられて旅舎に休んでいたが、そこに劉生子敬という者がある。
蓮香 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「松峰院妙実日相信女、己丑きちゅう明和六年四月廿三日」とあるのは、輔之の妻、「源静院妙境信女、庚戌こうじゅつ寛政二年四月十三日」とあるのは、允成ただしげはじめの妻田中うじ
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
甲必丹カピタン年を期して殿下に謁見するを許さる(右は甲必丹江府の拝礼毎年なりしに寛政二年庚戌こうじゅつより五年目に定り、ここに年を期してというはけだし延年を指していえるなり)
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
嘉永三年庚戌こうじゅつの年枕山は門人溝口桂巌みぞぐちけいがんに編輯の労を執らしめて『同人集』初編二巻を刊刻した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
嘉永三年庚戌こうじゅつ 八月、九州に遊ぶ。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
『遺稿』の中に「庚戌こうじゅつ家ニかえル。」と題した七律がある。これに由ってれば幽林が脚気を病んでその男典を伴い丹羽村の万松亭に還ったのは寛政二年庚戌の年でその齢六十五の時である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)