かの頼朝は、平治の乱における左馬頭義朝さまのかみよしとも謀叛むほんに依り、誅伐せらるべきのところを、入道相国しょうこくの大慈悲をもって助け置き下されたものであります。
左馬頭義朝さまのかみよしともは、憮然と、諦めの声をもらした。佐殿の父である。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この者先年平治の戦で故左馬頭義朝さまのかみよしともに従って討ち死いたしました須藤刑部丞ぎょうぶのじょう俊通の子にございますれば、その心底拙僧よく存じておるもの、どこまでもお召し連れ下さい
伊豆いずの国には流人るにん前右兵衛佐頼朝さきのうひょうえのすけよりとも常陸ひたちには信太三郎先生義憲しだのさぶろうせんじょうよしのり佐竹冠者昌義さたけのかんじゃまさよし、その子の太郎忠義、三郎義宗、四郎高義、五郎義季、陸奥には故左馬頭義朝さまのかみよしとも末子ばっし九郎冠者義経くろうかんじゃよしつねなど。