家慶いへよし)” の例文
連歌の卷々には左大臣として徳川家慶いへよしの句が入つてゐる。そして嘉永元年前のものには必ず壽阿彌が名を列して居る。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
時の将軍家家慶いへよし公は、前の大御所家斉いへなりが女の唇が好きだつたのと違つて、若芽薑が何よりも好物であつた。若芽薑といへば、どんな場末の安料理にもはつてゐるものだ。
十年七月二十八日愷は四十八歳にして将軍家慶いへよしに謁した。行歩不自由の故を以て城内に竹杖を用ゐることを許された。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
城は嘉永二年徳川家慶いへよしの築かしめた所謂福山城である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)