孔夫子こうふうし)” の例文
わたしは孔夫子こうふうしのこの三つの文章をちょっとかんがえてみよう。それらはさっきの状態をふたたび呼びもどすかもしれない。
イヤ、それよりも同じ章の別の条に、「伯魚の母死す、期にして而してなおこくす」の文によれば、伯魚の母即ち孔子の妻も、吾が聖人孔夫子こうふうしに去られたことは分明である。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
支那の尊厳は期せずして現れ来るのである。これ即ち日本国民がその同種同文の国民に対し、千五百年の友誼ある国民、孔夫子こうふうしの同門者たる国民に対するところの希望である。
東亜の平和を論ず (新字新仮名) / 大隈重信(著)
堯舜ぎょうしゅんの世はなかったのだ。なかったから孔夫子こうふうし創造つくったのだ。孔夫子に創造つくれた堯舜の世なら、組紐のお仙にも創造つくれる筈だ。彼女、自ら心内に、堯舜の世を形成かたちづくり、そこに住んだに相違ない。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)