大政所おおまんどころ)” の例文
その妻すなわち大政所おおまんどころへ遣わした消息には、「小たはらの事はくわんとう(関東)ひのもと(日の本)までのおきめにて候まゝ、ほしころしに申付くべく候」
国号の由来 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
すでに、秀吉は、太閤といわれ、その母は、大政所おおまんどころうやまわれ、そして寧子ねねは、きた政所まんどころと称されていた。
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大政所おおまんどころの称位をい、妻の寧子ねね政所まんどころとして、内にも、内事ないじ調ととのえを、着々とすすませていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後にやがて子が太閤たいこうとなったときは大政所おおまんどころとあがめられたひとである。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)