その妻すなわち大政所へ遣わした消息には、「小たはらの事はくわんとう(関東)ひのもと(日の本)までのおきめにて候まゝ、ほしころしに申付くべく候」
“大政所”の解説
大政所(おおまんどころ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。豊臣秀吉・豊臣秀長・瑞龍院日秀・朝日姫の生母。名は仲(なか)と伝えられるただし、これは史料では確認できず、『太閤素生記』によるために確かではない。。法名は春岩(春巌)、院号は天瑞院(てんずいいん)。位階は従一位。
従一位陞叙以前には二位尼君(にいのあまぎみ)と呼ばれ、従一位と摂政関白の母の尊称である大政所が宣下されて以後は、専らこの大政所として知られる。このため尼僧としての名は天瑞院春岩であるが、記事名も便宜上、大政所とする。
(出典:Wikipedia)
従一位陞叙以前には二位尼君(にいのあまぎみ)と呼ばれ、従一位と摂政関白の母の尊称である大政所が宣下されて以後は、専らこの大政所として知られる。このため尼僧としての名は天瑞院春岩であるが、記事名も便宜上、大政所とする。
(出典:Wikipedia)