墨股すのまた)” の例文
軍日誌によると、一ノ宮、大垣、垂井の間をほとんど四日たらずで行軍しており、あげくに墨股すのまたでは、むりな雨中渡渉としょうまでおこなっている。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
墨股すのまたの戰ひに少しく會稽の恥をすゝぎたれども、新中納言(知盛)軍機ぐんきしつして必勝の機をはづし、木曾のおさへと頼みしじやうの四郎が北陸ほくりくの勇をこぞりし四萬餘騎、餘五將軍よごしやうぐん遺武ゐぶを負ひながら
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
墨股すのまた合戦のくだりは、古典にもある場面ですが、新宮十郎行家が、蒲形かまかた(現今の東海道、蒲郡がまごおり)を根拠地としていたということは、古典にはなく、小生の詮索せんさくによるものでありますが
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
洲股すのまただった。墨股すのまたとも書く。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)