執権代しっけんだい)” の例文
また、その横に“御簾みすひさし”とよぶ小部屋があった。時により重大な裁判には、執権代しっけんだいとか、将軍の連署などが、陪審に臨むことがある。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「狂語と聞くなら、狂語と聞け。だが、わしの亡妻は、さきの鎌倉の執権代しっけんだいの長崎高資の兄、泰綱やすつなのむすめじゃった。内管領うちかんりょうの円喜入道とも、浅からぬ肉親にあたる」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、六波羅の評定衆に加えられ、その才はほどなく、鎌倉の執権代しっけんだい長崎高資ながさきたかすけの一族泰綱やすつなにみとめられた。そして泰綱のむすめを妻にもらった。まぎれもない彼は北条眷属けんぞくの一人であった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十五代の執権代しっけんだい、十二代の連署れんしょなど、補佐ほさの重職を歴任してきた彼だった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ことしは、高時が病中で上覧桟敷さじきはさびしいが、北条一門、執権代しっけんだい、連署、引付衆ひきつけしゅうなどの歴々の顔は欠けまい。——そして、佐々木道誉も来ていよう。……直義の不安は、だんだんに増していた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)