“呂尚”の解説
呂 尚(りょ しょう、Lü Shang)は、紀元前11世紀ごろの古代中国・周の軍師。丁公と邑姜の父、後に斉の始祖。
姓は姜、氏は呂、字は子牙もしくは牙、諱は尚とされる。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれる。諡は太公。斉太公・姜太公の名でも呼ばれる。
但しかれの名・字には諸説が有り、例えば貝塚茂樹は『詩経』大明編より、字を尚父とし、尚は「尚父」の略称だと指摘している。また、小竹史記では、諡を太公、名を望、字を尚としている。実際に『荀子』『韓詩外伝』『説苑』『新序』『論衡』などいくつかの文献には「呂望」と記す例が散見する。また、当時の金文では「姜子牙」で現れ、呂尚、呂望などとは謂われない。
(出典:Wikipedia)
姓は姜、氏は呂、字は子牙もしくは牙、諱は尚とされる。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれる。諡は太公。斉太公・姜太公の名でも呼ばれる。
但しかれの名・字には諸説が有り、例えば貝塚茂樹は『詩経』大明編より、字を尚父とし、尚は「尚父」の略称だと指摘している。また、小竹史記では、諡を太公、名を望、字を尚としている。実際に『荀子』『韓詩外伝』『説苑』『新序』『論衡』などいくつかの文献には「呂望」と記す例が散見する。また、当時の金文では「姜子牙」で現れ、呂尚、呂望などとは謂われない。
(出典:Wikipedia)