備中守びっちゅうのかみ)” の例文
そうなると、歴史上の事実として、安政元年正月に、小判三万両を携えて、京都へ上った堀田備中守びっちゅうのかみ正睦まさよしの、あつらえ向きの事件がある。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
文政十二年三月十七日に歿して、享年五十三であったというから、抽斎の生れた時二十九歳で、本郷ほんごう真砂町まさごちょうに住んでいた。阿部家は既に備中守びっちゅうのかみ正精まさきよの世になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その後から、第一番に松平越中守えっちゅうのかみ久世大和守くぜやまとのかみ、松平周防守すおうのかみ、牧野備中守びっちゅうのかみ岩城播磨守いわきはりまのかみ、それにお側御用御取次水野出羽守でわのかみの以上六名が、いずれも一人一役のお歴々である。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
政宗の方の片倉備中守びっちゅうのかみが三春の城に居るから、油断のならぬ奴への押えである。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ときの切支丹奉行は横田備中守びっちゅうのかみと柳沢八郎右衛門のふたりであった。
地球図 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「石川備中守びっちゅうのかみ様ア——」