伊勢国いせのくに)” の例文
尾張国おわりのくにでは、犬山に一日、名古屋に四日いて、東海道を宮に出て、佐屋を経て伊勢国いせのくにに入り、桑名、四日市、津を廻り、松坂に三日いた。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
といって、伊勢国いせのくにへ追いやってしまった。さすがに重盛だけの事はあると、彼一人でやっと平家の不評をとりもどした。
何も伊勢国いせのくにの染物屋だけが用いるのではなく、「紺屋型こうやがた」と呼んで、日本国中どこの紺屋へも運ばれたものであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
元和元年大阪夏の陣に、三斎公に従って武功を立てたが、行賞の時思う旨があると云って辞退したので追放せられた。それから寺本氏に改めて、伊勢国いせのくに亀山かめやまって、本多下総守俊次ほんだしもうさのかみとしつぐに仕えた。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)