仁科にしな)” の例文
手勢が少なかったので、勢多の橋へは今井四郎兼平に八百余騎を率いさせて向け、宇治橋へは、仁科にしな高梨たかなし、山田次郎に五百余騎をつけて派遣した。
仁科にしなの炬燵にもぐり込んで白馬錦はくばにしきをのみながら、ばあさんのみ声でも聞くのが関の山かと思う。「仁科」はうどんや。「白馬錦」とは地酒の名である。
可愛い山 (新字新仮名) / 石川欣一(著)
「ただ今、御表へ、信濃高遠しなのたかとお仁科にしな五郎様からの早打があり、木曾義昌殿きそよしまさどの、逆心の旨を、告げ参られました」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仁科にしなという青年が登場してしまったのだ。私は始めから素子のために一人の青年が必要だと考えていた。
勿論我国わがくにでもこの時代に既に理研りけん仁科にしな博士の下や、阪大はんだい菊池きくち教授の所で、原子物理学関係の実験が開始されていたので、そういう方面からも進言があったことであろう。
原子爆弾雑話 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
伊豆賀茂郡仁科にしな村大字大沢里おおさわり
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
仁科にしなの五郎信盛のぶもり
県歌 信濃の国 (新字新仮名) / 浅井洌(著)
叔父蔵人行家ゆきいえは一万余騎で志保山へ、仁科にしな高梨たかなし、山田次郎らで北黒坂きたくろさかへ七千余騎、南黒坂には樋口次郎兼光ひぐちのじろうかねみつらが七千余騎、又一万余騎は伏兵として、礪並となみ山の口、黒坂の裾、松長の柳原