井上唖々いのうえああ)” の例文
当時のわたしを知っているものは井上唖々いのうえああ子ばかりである。唖々子は今年六月のはじめ突然病に伏して、七月十一日の朝四十六歳を以て世を謝した。
梅雨晴 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
井上唖々いのうえああ君と其頃発行していた雑誌花月の編輯を終り同君の帰りを送りながら神楽坂まで涼みに出た。
花火 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
黒田湖山主筆となりて毎号巻頭に時事評論を執筆し生田葵山いくたきざんとわれとは小説を掲げ西村渚山にしむらしょざんは泰西名著の翻訳を金子紫草かねこしそうは海外文芸消息を井上唖々いのうえああは俳句と随筆とを出しぬ。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
一日いちにちおのれも菓子折に生田葵山いくたきざん君の紹介状を添へ井上唖々いのうえああ子と打連れ立ちて行きぬ。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
井上唖々いのうえああさんという竹馬ちくばの友と二人、梅にはまだすこし早いが、と言いながら向島を歩み、百花園ひゃっかえんに一休みした後、言問ことといまで戻って来ると、川づら一帯早くも立ちまよう夕靄ゆうもやの中から
雪の日 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
わたしはいかなる断篇たりともその稿を脱すれば、かならず亡友井上唖々いのうえああ子を招き、拙稿を朗読して子の批評を聴くことにしていた。これはわたしがまだ文壇に出ない時分からの習慣である。
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
わたくしは裳川先生が講詩の席で、始めて亡友井上唖々いのうえああ君を知ったのである。
十六、七のころ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
わたくしが中学生の頃初め漢詩を学びその後近代の文学に志を向けかけた頃、友人井上唖々いのうえああ子が『今戸心中いまどしんじゅう』所載の『文芸倶楽部ぶんげいクラブ』と、緑雨りょくうの『油地獄』一冊とを示してしきりにその妙処を説いた。
正宗谷崎両氏の批評に答う (新字新仮名) / 永井荷風(著)