参詣した僧が山々の□所を越えてようやくようよう麓のここまで下って来てこの一群の子供達のそばに来て息も絶え絶えの様な声を
元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳) (新字新仮名) / 井原西鶴(著)
おじおじして自分達が□すのもやめになる。——彼方も黙って居る。此方も黙って居る。——と、坊さんが木の葉をとってなげ始めた。
日記:07 一九二一年(大正十年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
イントーリストで切符東京まで予約して、АОМС へ行って из〔辻馬車〕を見つけて□の馬場と油橋さんのところへよった。
日記:16 一九三〇年(昭和五年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
日記:06 一九二〇年(大正九年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
香港における日本の綿布、紙、印刷用インク、磁器、□甃、ガラス、味の素、化学製品、オモチャ水産物は米英品及国産の⅓か½の価格。
日記:31 一九四八年(昭和二十三年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
『芸苑』の巻頭言、道標を□れ。『芸苑』の写真が来た。いい写真。私たちの写真には恋がある。家庭がない。そのうれしさ。
日記:31 一九四八年(昭和二十三年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
柏木さんのところ=□崎さんのところへよる。それから家へ帰り一休みし、もや夜 МХАТ〔モスクワ芸術座〕のフィガロ。
日記:16 一九三〇年(昭和五年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
□、自分と歩くことを愉快がりすぎる傾向あり、ただ歩いてだけ居てもよいというようなところあり。私は柔かくてつまらぬ。
日記:15 一九二九年(昭和四年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
木下八百子の噂、つまり芸者になる女、須磨子は只単に度きょうがあると云えば□えるのだったそうだ。無言劇は或程度まで行くものである。
日記:03 一九一六年(大正五年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
別れて居ても二人の愛に相変るべきものがないとは□りながら、その推理が全魂の信仰に至るまでの悲しく淋しい心持。
日記:05 一九一九年(大正八年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
果物□などの小品になかなかよいものあり、大きいのは感心せず。近いので、一時間ばかり山田わか氏を訪問、始めて。
日記:11 一九二五年(大正十四年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
朝早めに起き、「南路」を書いて仕舞い、二時頃、俥で駒込まで行きそれを出してから、□原の土田さんの処へ行く。千谷さんに遭い、うれしい。
日記:07 一九二一年(大正十年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
○そこへ大□さんが夫婦、娘で来る。父・母急にあわて、うやうやしく立ってあいさつをする。レスペクトを払う。
日記:19 一九三三年(昭和八年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
ああいういろいろ□考にどうなるのかしらと稲ちゃんと話す。シューマイのおみやげ、ハンカチーフのおみやげ。
日記:23 一九三九年(昭和十四年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
一緒に出かけてYの洗濯ものをとって、川谷さんのところへよって「□」を見にゆかれぬことを話し〔以下空白〕
日記:16 一九三〇年(昭和五年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
都踊の一□の連中、放送に来たとて、秀、Y、亢奮、たの——種鶴のこと——をたぬき、たぬきという。
日記:13 一九二七年(昭和二年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
私共A・1、で夕飯、銀座を歩いて「文明の□落」を買い、かえる。ふみ子の方がはやくかえって居た。
日記:13 一九二七年(昭和二年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
『新青年』一冊と一九二九年二月□日新聞所載説教強盗タイ捕苦心談をよんだだけでも、人は如何に探偵術に科学が絶対権をもって居るか知ることが出来るだろう。
日記:15 一九二九年(昭和四年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
女主人公をした女優、なかなか厚みのある演出——苦しさで、心の、口がふさがれ□い表情、やっと歩く心持、自分に皆経験のある心持故切なく変な心持になった。
日記:14 一九二八年(昭和三年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
夜中村氏来訪、恋の墓□の説明をきこうとしたが、どうにかしてはぐらかしてしまわれた。この間国民美の講演会のとき、最後にきいた音楽のような感じのする人だ。
日記:04 一九一七年(大正六年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
かえりに妙な田舎田舎したすしやに行き、大味氏□に行き、錦輝館に行ったら夜の六時からでだめ。
日記:03 一九一六年(大正五年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
それから間もなく水色のお召のマントに赤い緒の雪駄、かつら下地に髪を結んで、何かの霊の様なお龍と男はにぎやかなアスファルトをしきつめた□通りを歩いて居た。
日記:01 一九一三年(大正二年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
下の座敷へ塵が一杯落ちて来るので、勉強部屋の本箱に入りきれない□だけ子供達の部屋わきに持って来て、英男の机をかりる。如来氏大理石にほる字を書いて来られた。
日記:03 一九一六年(大正五年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
七月二十日「潜行□九氏」のマン画、左で暴力革命の発射準備。右で国際派弾圧、徳、〓の眺望鏡を出して見ている、オマワリのくつ、その前でまわれ右まわれ左している
日記:33 一九五〇年(昭和二十五年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
どうしようと云っていたが、到頭出かけ、湯田中までゆき、ステーションまで下って、小海線新□のネダンをきく4.56銭の由。駅から少しのぼったところに林檎畑あり。
日記:20 一九三六年(昭和十一年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
船は十二月の北海の波の上に揺れて居る上に、美くしく□った人々が楽しげにおどって居る。
日記:05 一九一九年(大正八年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
かえりに本□によって(赤門前)私のピアレス bed を買い、瓜生でジアリンを買い、(その前に燕楽で食事)かえる。伊藤氏一時より三時間も待って居た由、気の毒。
日記:12 一九二六年(大正十五年・昭和元年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
○昨夜七時すぎ緑郎、□沢一緒にダットサンで来た。ついつられてのってかえってしまった。
日記:21 一九三七年(昭和十二年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
この頃物価上騰の一徴候、アタプレーニエ〔暖炉〕が高いからであろう、(薪が今年は払底になった、貨車の関係で。)貨車が足りぬ、生産品が増した、□の出る方を運ぶ。
日記:14 一九二八年(昭和三年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
ただ風景面白いのを二つ三つ見て、自分一寸描くもののなかったのを残念に思い、かつ、あの辺へ十日か一週間すんでああいう強い、美しい□スケッチとっておきたかった。
日記:15 一九二九年(昭和四年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
この原因は、暫く途絶えて居、いろいろな人が□うこともあるから書いたらいいだろうと云う親切からなのだ。然し今自分は、「黄銅時代」以外の何ににも手をつけたくはない。
日記:07 一九二一年(大正十年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
お妙ちゃん——雛勇はん——斯のどっちからよんでも何となくしおらしい舞子は私の若いおどるような心の中にあったかい、そして□たない思い出をきざんで呉れたのであった。
○重治さんから□カン送ってくれる。大阪まできいていてくれる由。ありがたいと思う。
日記:23 一九三九年(昭和十四年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
□北から使で、スエ子が病気重くカンゴフをよんだから来い、と云う口上。困った。出がけに、会に電話をかけてYに林町にかけて貰うことにし行く。ハシカであった。何よりだ。
日記:11 一九二五年(大正十四年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
勿論よいもわるいも□あるが、比較的箇性があり、日本の帝展とは違う、なかでも、ロダンの作品は、自分に深い感銘をのこし、彫刻の真、心と云うものが迫って来たように思った。
日記:08 一九二二年(大正十一年) (新字新仮名) / 宮本百合子(著)