“まさより”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
将頼20.0%
政職20.0%
政頼20.0%
正順20.0%
雅縁20.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「兄上。お迎えに出ていました。弟の三郎将頼まさよりです」
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
話の起りは、この一げつの年始状からの事で、春早々氏の玄関に投げ込まれた数多い年始状のなかに「榊原政職まさより」といふ人から寄こした一枚の葉書があつた。
今もって、毛利に属する英賀あが城に三木通秋みちあき、山崎城に宇野祐清すけきよ朝水山ちょうずさん城に宇野政頼まさよりなど——あちこちに、うるさいのが、頑張っておる
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
最後に七年四月二十六日に允成のれたしつは、下総国しもうさのくに佐倉さくらの城主堀田ほった相模守さがみのかみ正順まさよりの臣、岩田忠次いわたちゅうじの妹ぬいで、これが抽斎の母である。結婚した時允成が三十二歳、縫が二十一歳である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
雅経の子教定のりさだの女は為氏の妻、教定の男雅有まさありは為家の門人、雅世の父雅縁まさよりは両統合体後の歌壇に少しは認められた歌人、ことに雅世の子雅親まさちかは正二位権大納言に昇り
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)