“せきどく”の漢字の書き方と例文
語句割合
尺牘100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
榛軒は抽斎より一つの年上で、二人のまじわりすこぶる親しかった。楷書かいしょに片仮名をぜた榛軒の尺牘せきどくには、宛名あてなが抽斎賢弟としてあった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
わたくしはその中橋よりお玉が池に移居したのを、任官とほゞ同じ頃の事と以為おもふ。それは小島成斎の九月二十二日の尺牘せきどくに拠つて言ふのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その他今の清浦子きようらしが県下の小学教員となり、県庁の学務課員となるにも、優の推薦があずかって力があったとかで、「矢島先生奎吾けいご」と書した尺牘せきどく数通すつうのこっている。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
庚午旺秋わうしうの茶山の尺牘せきどくには種々の人の名が見えてゐる。皆蘭軒の識る所にして又茶山の識る所である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
初めわたくしは澀江抽齋傳中の壽阿彌の事蹟を補ふに、其尺牘せきどく一則を以てしようとした。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
然るに此年文化十年七月下旬にたま/\江戸への便があつたので、茶山は更に直接に書を蘭軒に寄せた。即ち七月二十二日附の書で、亦わたくしが饗庭篁村あへばくわうそんさんに借りた一括の尺牘せきどくの中にある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)