“じょうのさいぎく”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
条野採菊50.0%
條野採菊50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
三日の後に再びやまと新聞社に電話をかけて条野採菊じょうのさいぎく翁に聞きあわせると、本葬は見合わせになったらしいという返事であった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
戯作者げさくしゃ殿しんがりとしては、仮名垣魯文と、後に新聞記者になった山々亭有人さんさんていありんど条野採菊じょうのさいぎく)に指を屈しなければならない。
明治十年前後 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
わたしは条野採菊じょうのさいぎく老人からいろいろの教えをうけたが、その以外には西田菫坡にしだきんぱ老人からも教えられることが多かった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その時の勘平は道行みちゆきの勘平で、おかるは福助、伴内は松助であったが、菊五郎は楽屋で条野採菊じょうのさいぎく翁にこんなことを話したそうである。かれは勘平の顔を真っ白に塗りながら言った。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
條野採菊じょうのさいぎく翁に語ったところによると、河原崎座の座主河原崎権之助という人は新狂言が嫌いで、なんでも芝居は古いものに限ると主張しているので
自来也の話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その翌年の二月、條野採菊じょうのさいぎく翁が伊井蓉峰いいようほう君に頼まれて「茲江戸子ここがえどっこ」という六幕物を書くことになった。故榎本武揚えのもとたけあき子爵の五稜郭ごりょうかく戦争を主題テーマにしたものである。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)