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いわした
右の一条は薩州の方でも
甚だ秘密にして、事実を
知て居る者は藩中に
唯七人しかないと清水が
聞たそうだが、その七人とは多分
大久保、
岩下なぞでしょう。
六ヶ月して
窃に長崎の方に行き、
松木は
凡そ一年ばかりも
其処に居る中に、本藩の方でも松木の事を
心頭に掛けてその所在を探索し、
大久保、
岩下、
重野を始めとして
岩下と
重野の両人、それから幕府の
外国方から
鵜飼弥市、
監察方から
斎藤金吾と
云う人が立会い、いよ/\書面を
取換して事のすっかり収まったのが、文久三年の十一月の
朔日か二日頃であった。