“あつたゞ”の漢字の書き方と例文
語句割合
敦忠100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
さて国経が酔臥ゑひふしたるを叔母をばを車にいだき入れて立かへり、此はらに生れたるを中納言敦忠あつたゞといふ、時平の不道ふだう此一を以て其余そのよるべし。
子の敦忠あつたゞも美男であったと云うことであるから、矢張美人系の一族たるにじない容姿だったのであろう。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
さて国経が酔臥ゑひふしたるを叔母をばを車にいだき入れて立かへり、此はらに生れたるを中納言敦忠あつたゞといふ、時平の不道ふだう此一を以て其余そのよるべし。
しかし滋幹は、自分のたねちがいの弟に当る中納言敦忠あつたゞに対しては、餘所よそながら深い親愛の情を寄せていた。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
又一男八条の大将保忠やすたゞ、その弟中納言敦忠あつたゞおよび時平のむすめ、(延喜帝の女御なり)孫の東宮までも相つゞきてこうぜらる。又時平の讒毒ざんどく荷担かたんしたる菅根すがねの朝臣は延喜八年十月死す。
又一男八条の大将保忠やすたゞ、その弟中納言敦忠あつたゞおよび時平のむすめ、(延喜帝の女御なり)孫の東宮までも相つゞきてこうぜらる。又時平の讒毒ざんどく荷担かたんしたる菅根すがねの朝臣は延喜八年十月死す。