黄昏時たそがれどき)” の例文
八橋楼の亭主得右衛門は、黄昏時たそがれどきの混雑に紛れ込みたる怪しき婦人を、一室ひとまの内にやすませおき、心を静めさせんため、傍へは人を近附けず。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
やや遠いみちを来るうちに雪も少し降り出してえんな気のする黄昏時たそがれどきであった。笛などもおもしろく吹き立ててはいって行った。
源氏物語:44 匂宮 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そういう少女のお涌が持って歩き出したあの黄昏時たそがれどきの蝙蝠が、何故ともなく遮二無二しゃにむに皆三には欲しくて堪らなくなったのだ。
蝙蝠 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
と主婦は食堂の窓の側に立って、黄昏時たそがれどきの空気のために紅味勝あかみがちな紫色に染まった産科病院の建築物たてものを岸本にして見せた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
大正八年一月五日の黄昏時たそがれどきに私は郊外の家から牛込うしごめの奥へと来た。その一日二日の私の心には暗い垂衣たれぎぬがかかっていた。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
ともかくも黄昏時たそがれどきではあるが、この男の出動する時刻にはまだ間もあるものと見え、いったん眼をまして、破れすだれをかかげて外の方を見渡した。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
もう黄昏時たそがれどき、——ガラッ八は四方あたりの景色の凄まじさに驚いて、狐につままれたのではあるまいかと思ったほどです。
銭形平次捕物控:124 唖娘 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
新調の背廣姿を見上げ見下しされたのは、實に一昨日をとつひの秋風すずろに蒼古の市に吹き渡る穩やかな黄昏時たそがれどきであつた。
葬列 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
さうして黄昏時たそがれどきにおつぎはそれを草刈籠くさかりかごれてうしろ竹藪たけやぶなか古井戸ふるゐどおとした。古井戸ふるゐどくらくしてかつふかい。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
此のあたりは山に近い上に木立こだちが深いので日が遠く、まして黄昏時たそがれどきなので、冷え/\とした空気が身に沁むのであったが、去年の落葉の積っているのを掻き分けながら
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
黄昏時たそがれどきの七時頃、がらっと障子戸を開けると土間、あがりばたの部屋には囲炉裡があって、自在かぎにかけたお鍋の蓋をとって煮物のお塩梅をしていた、やせたお婆さんが
三浦環のプロフィール (新字新仮名) / 吉本明光(著)
そこで棺屋の李夫は、急いで大きな棺をつくり、二三人の者にそれをかつがして、その日の黄昏時たそがれどき、劉家の裏門へ忍んで往くと、門口には春嬌が待っていて戸を開けて内へ入れた。
断橋奇聞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
島田に結って、白襟に三枚襲さんまいがさねを着飾ったお今の、濃い化粧をした、ぽっちゃりした顔が、黄昏時たそがれどき薄闇うすやみのなかに、ほろの隙間から、微白ほのじろく見られた。その後から浅井夫婦が続いた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
あか夕焼ゆうやけのするなつがすぎて、やがてあきとなり、そして、ふゆは、北国ほっこくはやくおとずれました。ゆきって、やまめてしまい、それがえると、黄昏時たそがれどきながはるとなりました。
二番めの娘 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「つい黄昏時たそがれどき篠原堤しのはらづつみへかかる頃まではたしかに、われらの中におしたものを」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
黄昏時たそがれどきになると父親は炭小屋から、からだ中を真黒にしてスワを迎えに来た。
魚服記 (新字新仮名) / 太宰治(著)
昼間が怖いと云って、暮れ切ってしまっては、電燈もない島の事だから、どうすることも出来ない。私は黄昏時たそがれどきの、遠目には人顔もさだかに分らぬ時分を見計らって、例の土蔵の下へ行った。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
都会の地に住む人々は、今ではもう闇夜や黄昏時たそがれどきの淋しさを理解せぬと同時に、人を喚ぶという声を聞く事がまれになったが、以前の生活にはそれが通例であり、また最も大切な耳の働きでもあった。
そしてこんな黄昏時たそがれどきにたつた一人で私に遭つてさう云ふのだ! あなたが正體か影か、思ひ切つて觸つてみようか、小さな妖精フエアリー!——だがいつそ沼の中の青い鬼火おにびを捉へようと云つた方がいゝ位だ。
黄昏時たそがれどきがもう近くなった。マリイはろは台に腰を掛てから彼此かれこれ半時はんときばかりになる。最初の内は本を読んでいたが、しまいにはフェリックスの来るはずの方角に向いて、並木の外れを見ていたのである。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
雨はふる……雨はふる……本能と神経の黄昏時たそがれどき
東京景物詩及其他 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
優しい、薄暗い黄昏時たそがれどきよ。好く来てくれた。
さういふ少女のお涌が持つて歩き出したあの黄昏時たそがれどきの蝙蝠が、何故なぜともなく遮二無二しゃにむに皆三には欲しくてたまらなくなつたのだ。
蝙蝠 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
山口駿河が赤松左京と共に各国船退帆の報告をもって、兵庫から京都の二条城にたどり着いたころはもはや黄昏時たそがれどきに近い。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
もう黄昏時たそがれどきでよくわからないけれども、その女はこの辺にはあまり見かけない、洗い髪の兵庫結ひょうごむすびかなにかに結った年増の婀娜者あだもののように見える。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
もう黄昏時たそがれどき、——ガラツ八は四方の景色の凄まじさに驚いて、狐につままれたのではあるまいかと思つたほどです。
銭形平次捕物控:124 唖娘 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
新調の背広姿を見上げ見下しされたのは、実に一昨日をとつひの秋風すずろに蒼古の市に吹き渡る穏やかな黄昏時たそがれどきであつた。
葬列 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
ねえさん、』と仰向あふむくとうへから俯向うつむいてたやうにおもふ、……廊下らうかながい、黄昏時たそがれどきひらききはで、むら/\とびんが、其時そのときそよいだやうにおもひました。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
森の中では、幾層にも木の葉が重り合って、空を見ることは出来ませんけれど、でも、全く闇というではなく、黄昏時たそがれどきのほのかなる微光が、もやの様に立籠たちこめて、行手が見えぬ程ではありません。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その日の黄昏時たそがれどき、おなじ島の南にあたる尾野間おのまという村の沖に、たくさんの帆をつけた船が、小舟を一隻引きながら、東さしてはしって行くのを、村の人たちが発見し、海岸へ集ってののしりさわいだが
地球図 (新字新仮名) / 太宰治(著)
光ありと見し夕顔のうは露は黄昏時たそがれどきのそら目なりけり
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
黄昏時たそがれどき
もう黄昏時たそがれどきです。この二人の壮士は、小屋を尻目にかけて悠々と闊歩して、例の相生町の老女の屋敷へ入り込みます。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
薄い靄か霧かが来て雪のあとの町々を立ちめた。その日の黄昏時たそがれどきのことだ。晴れたナと思いながら門口に出て見ると、ぱらぱらと冷いのがえりにかかる。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
すぐ近い坂の上だといふ事で、風呂敷包を提げた儘、黄昏時たそがれどきの雨の霽間を源助の後にいて行つたが、何と挨拶したら可いものかと胸を痛めながら悄然しよんぼりと歩いてゐた。
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
それも秋で、土手を通ったのは黄昏時たそがれどき、果てしのない一面の蘆原あしはらは、ただ見る水のない雲で、対方むこうは雲のない海である。みちには処々ところどころ、葉の落ちた雑樹ぞうきが、とぼしい粗朶そだのごとくまばららかって見えた。
海の使者 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その床の上に七十年の生涯しょうがいを思い出して、自己おのれ黄昏時たそがれどきをながめているような人である。ちょうど半蔵が二階に上がって来て見た時は、父は眠っていた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
すぐ近い坂の上だといふ事で、風呂敷包を提げた儘、黄昏時たそがれどきの雨の霽間はれまを源助の後にいて行つたが、何と挨拶したら可いものかと胸を痛めながら悄然すごすごと歩いてゐた。
天鵞絨 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
黄昏時たそがれどきに行けば間違いはない——とこう思案して、お松は焦立いらだつ心をおさえながら、田山白雲のためにも、何かと夕餉ゆうげの仕度をととのえたり、部屋のうちを片づけたりして待っておりました。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
廊下づたいに看護婦の部屋の側を通って、黄昏時たそがれどきの庭の見える硝子ガラスの近くへ行って立った。あちこちと廊下を歩き廻っている白い犬がおげんの眼に映った。
ある女の生涯 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
素袷すあはせさむき暁の風に送られて鉄車一路の旅、云ひがたき思を載せたるまゝに、小雨ふる仙台につきたるは五月さつき廿日の黄昏時たそがれどきなりしが、たゞフラ/\と都門を出で来し身の
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
ちょうど、黄昏時たそがれどきであることが、米友にとっては仕合せでありました。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いつの間には四壁そこいらは暗くなつて来た。青白い黄昏時たそがれどきの光は薄明く障子に映つて、本堂の正面の方から射しこんだので、柱と柱との影は長く畳の上へ引いた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
日中ならば時のうつり方も緩慢に見えますけれども、黄昏時たそがれどきであっては、急速の移り方で、みるみる暗いもやがいっぱいに立てこめて、暮の領域はみるみる夜の色に征服されて行くのが烈しいのです。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
早く夕飯の濟んだ黄昏時たそがれどきのことでした。私は二人の子供を連れて町の方へ歩きに行つたことが有りました。
田山白雲が勿来なこそせきに着いたのは、黄昏時たそがれどきでありました。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その寄宿舎の入口で、玄関で、時にはまだ年のいかない女生徒なぞを伴いながら出て来る繁子とさまざまな話をして、わずかばかりの黄昏時たそがれどきを一緒に送るのを楽みとした。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
二階へ通ふ廊下のところで、丑松はお志保につた。あをざめて死んだやうな女の顔付と、悲哀かなしみあふれた黒眸くろひとみとは——たとひ黄昏時たそがれどきほのかな光のなかにも——直に丑松の眼に映る。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
町々の屋根は次第に黄昏時たそがれどきの空気の中へ沈んで行った。製造場の硝子戸には、未だわずかに深い反射の色が残った。下婢おんな階下したから洋燈ランプを持って上って来た。三吉はマッチをった。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
あだかも深い林の中に消えて行く光のように。そこにはばたきするように輝いて来た堂内の燈火ともしびと、時々響き渡る重い入口のドアの音と、厳粛おごそかに沈んで行く黄昏時たそがれどきの暗さとが残った。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)