“醫(い)” の例文
新字:医
〔評〕兵を治(ち)して對抗(たいかう)し、互に勝敗(しようはい)あり。兵士或は負傷(ふしやう)者の状(じやう)を爲す、醫(い)故に之を診察(しんさつ)す。兵士初め負傷者とならんことを惡む。
彼(かれ)の老躯(らうく)は日毎(ひごと)に空腹(くうふく)から來(く)る疲勞(ひらう)を醫(い)する爲(ため)に食料(しよくれう)を攝取(せつしゆ)する僅(わづか)な滿足(まんぞく)が其(そ)の度毎(たびごと)に目先(めさき)の知(し)れてる彼(かれ)を拉(らつ)して其(そ)の行(ゆ)く可(べ)き處(ところ)に導(みちび)いて居(ゐ)るのである。
土 (旧字旧仮名) / 長塚節(著)
資本(もとで)に初めし醫者家業(いしやかげふ)傷寒論(しやうかんろん)は讀(よめ)ねども醫(い)は位(ゐ)なりとて衣服(いふく)で驚(おど)かし馬鹿にて付る藥迄(まで)舌(した)三寸の匙加減(さじかげん)でやつて退(のい)たる御醫者樣も斯(か)う成ては長棒(ながぼう)の駕(かご)より命(いのち)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
キヤツと叫(さけ)びて倒(たふ)るゝを、見向(みむ)きもやらず通(とほ)りしは、優(いう)にやさしき人(ひと)の、黄楊(つげ)の櫛(くし)を唇(くちびる)に銜(くは)へしなり。うらぶれし良家(りやうか)の女(むすめ)の、父(ちゝ)の病氣(いたつき)なるに、夜半(よは)に醫(い)を乞(こ)へる道(みち)なりけり。
婦人十一題 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
其後(そののち)數年間(すうねんかん)は春夏(しゆんか)の際(さい)折々(をり/\)行(おこな)ふに過(す)ぎざりしが、二十五六歳(さい)の頃(ころ)醫(い)を以(もつ)て身(み)を立(た)つるに及(およ)び、日夜(にちや)奔走(ほんそう)の際(さい)頭痛(づつう)甚(はなはだ)しき時(とき)は臥床(ふしど)に就(つ)きし事(こと)屡(しば/\)なりしが、其(その)際(さい)には頭部(とうぶ)を冷水(れいすゐ)を以(もつ)て冷却(れいきやく)し
命の鍛錬 (旧字旧仮名) / 関寛(著)
首(はじめ)として並居る一同母親(はゝおや)のお勝も偖(さて)は其の醫師は元益なりしかと計りに呆(あき)れて顏(かほ)を見合せゐたりぬ忠相(たゞすけ)ぬしは呼び出せし和吉に言葉(ことば)はあらずして元益(げんえき)の方へ打向ひ其方最前(さいぜん)も申す通り醫(い)は仁術(にんじゆつ)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
も欺(あざむ)き課(おほ)せんとする程の大膽不敵(だいたんふてき)なれば間もなく見樣見眞似(みやうみまね)にて風藥(かぜぐすり)の葛根湯位は易々(やす/\)と調合(てうがふ)する樣に成ける程に武田長生院も下男(げなん)にも珍(めづら)しき奴(やつ)なれど扨(さて)心の寛(ゆる)せぬ勤め振と流石(さすが)に老醫常々親戚(しんせき)の者へ語られしとぞ作藏の僅(わづ)か三年越(ごし)の奉公中に醫(い)の道を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)