小暗おぐら)” の例文
片側は土手、片側は鉾杉ほこすぎ小暗おぐらい林で、鳥の声もかすかである。御手洗みたらしの水の噴きあげる音が、ここまでかすかにひびいてくる。
顎十郎捕物帳:05 ねずみ (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
二人してよその小暗おぐらい塀の蔭に潜み、やがてほかの子がみな出て行っても、二人だけで寄り添ったまま、そこにかがみこんでいて
冬至までは、日がます/\つまって行く。六時にまだ小暗おぐらく、五時には最早もうくらい。流しもとに氷が張る。霜が日に/\深くなる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
こうして、夏もここで涼んで行ったかと思われる小暗おぐら谷蔭たにかげが、今では何処にも見られないような明るい場所になっていた。
「こはいぶかし、路にや迷ふたる」ト、彼方あなたすかし見れば、年りたるえのき小暗おぐらく茂りたる陰に、これかと見ゆる洞ありけり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
土手へあがった時には葉桜のかげは小暗おぐらく水を隔てた人家にはが見えた。吹きはらう河風かわかぜに桜の病葉わくらばがはらはら散る。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それを小暗おぐらく包もうとする緑の奥には、重いが沈んで、風に揺られる折々を待つほどに、葉は息苦しく重なり合った。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
場所は、永代橋へ出ようとする深川相川町のうら、お船手組屋敷の横で、昼でも小暗おぐらい通行人のまばらなところ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
日は落ちて行く刻で、空も身にしむ色に霧が包んでいて、山のかげはもう小暗おぐらい気のする庭にはしきりにひぐらしが鳴き、垣根かきね撫子なでしこが風に動く色も趣多く見えた。
源氏物語:39 夕霧一 (新字新仮名) / 紫式部(著)
月はこのとき、あたかもアネモネのおおいのように、極めて薄い雲の天蓋をもって、その光りを小暗おぐらくしていた。
村雨むらさめの時節がやって来た。雲が小暗おぐらく流れて来たかと思うと少しのこらえもなくすぐにばらばらと降りこぼれた。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
こは山蔭の土の色鼠に、朽葉黒かりし小暗おぐらきなかに、まわり一かかえもありたらむえのきの株を取巻きて濡色のくれないしたたるばかりちりも留めずつちに敷きていたるなりき。
清心庵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
舟はその間もに微風をはらんで、小暗おぐらく空にはびこった松の下を、刻々一枚岩の方へ近づきつつあった。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
細い細い道を辿ってゆくと、時として杉の林の小暗おぐらきところに出る、時としてまぶしいような紅葉の明るいところに出る、宿から半道も来た頃、崖崩れのために道は絶えた。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
恋ちょう真清水ましみずをくみ得てしばしは永久とこしえの天を夢むといえども、この夢はさめやすくさむれば、またそのさびしき行程みちにのぼらざるを得ず、かくて小暗おぐらき墓の門に達するまで
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
中尉の号令を待ちかねていたかのように、部隊はサッと小暗おぐらい営庭に整列した。点呼もすんだ。すべてよろしい。そこで直ちに部隊は隊伍たいごをととのえて、しゅくしゅくと行進をはじめた。
空襲警報 (新字新仮名) / 海野十三(著)
いいえひよつとすると、この聖堂の小暗おぐらい外陣の片すみで、いきなりあの古島さんといふ青年に抱きついた刹那せつな、下から見あげた古島さんの眼にうつつた姉さまの表情だつたのかも知れません。
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)
ある時は、上野摺鉢山すりばちやま——あの、昼も小暗おぐらく大樹の鬱蒼うっそうとしていた、首くくりのよくある場所——上野公園のなかでも、とくに摺鉢山。ある時は九段——これも、日中あまり人通りがなかった場所だ。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
黒々とした残雪の見られる谷間の傾斜と、小暗おぐらすぎひのき木立こだちとにとりまかれたその一区域こそ、半蔵が父の病をいのるためにやって来たところだ。先師の遺著の題目そのままともいうべきところだ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
と、小暗おぐらい林の中から、男女の囃す声が聞こえて来た。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
とおって来たばかりの小暗おぐらき路をのそのそ歩いた。
狂言の神 (新字新仮名) / 太宰治(著)
藤房ふじぶされて小暗おぐら産屋うぶやかな
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
あけぼのの前に小暗おぐらき時は
われ小暗おぐらきリラの花近く、やさしきとち木蔭こかげけば、見ずや、いかで拒み得べきと、わが魂はさゝやくごとし。
主人といっしょにがけを下りて、小暗おぐらみち這入はいった。スコッチ・ファーと云う常磐木ときわぎの葉が、きざ昆布こんぶに雲がいかかって、払っても落ちないように見える。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし、この奥まった場所へも秋がしのび込んで来た今では、小暗おぐらい青葉もすべて金色に変って、谿間に蔭を落すどころか、本当にそこをぱっと明るくしていた。
ものの気勢けはいも人声も、街道むきにぎやかに、裏手には湯殿の電燈の小暗おぐらきさえ、あかりは海に遠かった。
浮舟 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
海底の砂はまきあげられて、さなきだに小暗おぐらい海底は、黒一色と化して、なにものも見えなくなった。その暗黒の中に、キンギン国の誇る大潜水艦隊は、完全に包まれてしまったのである。
二、〇〇〇年戦争 (新字新仮名) / 海野十三(著)
葡萄の棚より露重げに垂れ下る葡萄を見上みあぐれば小暗おぐらき葉越しの光にそのふさの一粒一粒は切子硝子きりこガラスたまにも似たるを、秋風のややともすればゆらゆらとゆり動すさま
葡萄棚 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
しかも酔える足どり、よたよたとして先に立ち、山懐の深く窪みりたる小暗おぐらかたきたり、さて両腕を解けば縄落つ。まことはいましめたるにあらず、手にてしかく装いたるなり。
山吹 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかしひらめいずる美しいほのおはなくて、真青まっさおけむりばかりが悩みがちに湧出わきいだし、地湿じしめりの強い匂いをみなぎらせて、小暗おぐらい森の梢高こずえだかく、からみつくように、うねりながら昇って行く。
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
私たち二人は雑草の露にはかますそうるおしながら、この森蔭の小暗おぐらい片隅から青葉の枝と幹との間をすかして、彼方かなた遥かに広々した閑地の周囲の処々しょしょに残っている練塀ねりべいの崩れに
小暗おぐらきかげにわれを招ぐもあだなれや。