外套がいとう)” の例文
女が低声で、笑いながら「いいえ、いけません。いやです」と言うのが聞えた。相手は男で、異様に長い外套がいとうを着ているのが見えた。
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
この時水色のはげしい光の外套がいとうを着た稲妻いなずまが、向うからギラッとひらめいて飛んで来ました。そして童子たちに手をついて申しました。
双子の星 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
すなわち、「東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套がいとうで丁度よかった。」
如是我聞 (新字新仮名) / 太宰治(著)
ひげある者、腕車くるまを走らす者、外套がいとうを着たものなどを、同一おなじ世に住むとは思わず、同胞はらからであることなどは忘れてしまって、憂きことを
葛飾砂子 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
コーヒーだけかと思っていたら、ピート一等兵は、毛皮の外套がいとうの下から、ビフテキを紙につつんだやつを、すばやく沖島に手渡した。
地底戦車の怪人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
北向の屋根の軒先から垂下る氷柱つららは二尺、三尺に及ぶ。身を包んで屋外そとを歩いていると気息いきがかかって外套がいとうえりの白くなるのを見る。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼は少しきまりの悪そうな様子をしてようやく用向を述べた。それは昨夕ゆうべお延とお時をさんざ笑わせた外套がいとうの件にほかならなかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
かく言ひつつ彼は艶々つやつやあからみたる鉢割はちわれの広き額の陰に小く点せる金壺眼かねつぼまなこ心快こころよげにみひらきて、妻が例の如く外套がいとうぬがするままに立てり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
すると一人の男、外套がいとうえりを立てて中折帽なかおれぼう面深まぶかかぶったのが、真暗まっくらな中からひょっくり現われて、いきなり手荒く呼鈴よびりんを押した。
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
王子は身仕度みじたくをし、長い外套がいとうをつけまるい帽子をかぶり、短い剣をこしにさして、誰にも気づかれないように、そっと城をぬけ出しました。
夢の卵 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
それをなだめたりすかしたりしながら、松井町まついちょううちへつれて来た時には、さすがに牧野も外套がいとうの下が、すっかり汗になっていたそうだ。……
奇怪な再会 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
不格好な外套がいとうて、この頃見馴れない山高帽をかぶった、酒飲みらしい老人の、腰を掛けている前へ行って、瀬戸がお辞儀をして
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「二つの外套がいとうは悪くはございません。」とフォーシュルヴァンはつぶやいた。彼の耳は実際いくらか聞き違いをすることがあった。
その小さい女は黄と黒の縞の外套がいとうをきていて、何か快活そうに笑っていた。それと並んで扁理は考え深そうにうつむきながら歩いていた。
聖家族 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
彼女は丁度ちょうど奥の窓から額際ひたいぎわに落ちるキラキラした朝の日光ひかげまぶしさうに眼をしかめながら、しきいのうへに爪立つまだつやうにして黒い外套がいとうを脱いだ。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
康子が清三の顔をぬすむようにして云った、清三は黙って座を立った、清三が外套がいとうを着て食堂を出ると、康子も一緒にいて来た。
須磨寺附近 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
仕事しごと都合つごう二電車ふたでんしゃばかりおくれた父親ちちおやは、くろ外套がいとうに、鳥打帽とりうちぼうをかぶっていそいできました。むかえにているせがれつけると
波荒くとも (新字新仮名) / 小川未明(著)
「それにしても、君は一体、その覆面や外套がいとうをどこで手に入れたのですか。まさかわざわざ新しく作らせたのではありますまい」
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その時突然岡が立派な西洋絹の寝衣ねまきの上に厚い外套がいとうを着て葉子のほうに近づいて来たのを、葉子は視角の一端にちらりと捕えた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
何度もやって見てとうとうあきらめたらしく、外套がいとうえりを立て襟巻をぐるぐる首に巻いて、身体からだを丸くして縮まり込んでしまった。
硝子を破る者 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
そこには黒い三角の長い頭巾をかぶり、同じように三角の長い外套がいとうを着た、顔色の青い、眼の玉の赤い、白髪のお婆さんが立っておりました。
奇妙な遠眼鏡 (新字新仮名) / 夢野久作香倶土三鳥(著)
「書物は精神の外套がいとうであり、ネクタイでありブラシであり歯みがきではないか、ある人には猿股さるまたでありステッキではないか。」
丸善と三越 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そして、すらりとした華奢きゃしゃな体を、揺り椅子いすに横たえて、足へはかかとの高い木沓きぐつをうがち、首から下を、深々とした黒てん外套がいとうが覆うていた。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「宜し。じゃ、とにかく、今夜のうちに駐在所まで来て、本署まで一緒に行ってもらわねばならんな。この外套がいとう背負しょって。」
熊の出る開墾地 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
外套がいとうは、薄い合着を召してお出かけだったが、もしや風邪でもお引きにならなけりゃいいが、いやはや、若い人というもんは!
桜の園 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
Kは外套がいとうに手をかけたが、着る決心がつきかねていた。みんな引っつかんで、新鮮な空気の中へ駆けてゆくことがいちばんしたく思われた。
審判 (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
ブラウンが往診から帰って来、玄関に立ち止まって、いつも同じ癖の細心なやり方で、帽子や外套がいとうをかけてる様子を、彼は想像に浮かべた。
人数の重なりがほぐれて階段へかかる、その中の一人に、ハトロン紙の包を抱えた外套がいとうの青年を見た。それは規矩男であった。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
お庄は目に涙をにじませながら、台所の方から出て来ると、「昨夜ゆうべのことどうしたんです。」と出口で外套がいとうを着かけている磯野に声かけた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
枝付きの蜜柑みかんを買い込んで土産みやげとし、三等客として空席の一つを占めたが向合いに黒いとんび外套がいとうを着た相当品格のあるおじいさんが一人居た
外套がいとうのポケットと、残ったズボンの右ポケットへ、なるべく目立たないようにと苦心しながら納めてしまった。財布もやはり一緒に取出した。
木枯しが夕暮れの街をはしり、胡麻粒のように見える人も、みんな外套がいとうえりを立てて、うつむきがちな速足で歩いていた。
メリイ・クリスマス (新字新仮名) / 山川方夫(著)
る大名華族の屋敷の門長屋が詰所にあてられた。外套がいとうを着、襟巻えりまきをした彼は、和服に二重廻にじゅうまわしの隣人を引張って出かけた。
遺産 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
鬼蔦おにづたのつるがスコッチの外套がいとうでもかぶっているようにからんでいる異人館の塀際から、煙のような人影が不意に襲って来た。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このまま失礼しますと外套がいとうを着たなりで応接間へ通り、椅子にも掛けず立ちながら要領を話し、あとは此処に書いてありますから御覧下さいと
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
古いが、もとは相当にものが良かったらしい外套がいとうの下から、白く洗いさらされた彼女のスカートがちらちら見えていた。
渦巻ける烏の群 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
自分は外套がいとうえりを立て返したばかりで傘はささず、考えるともなく、池と森とを隔てて、今日の昼過ぎ訪問した根岸の友達の事を考えながら歩いた。
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
みんな防寒用の外套がいとうを着て、重々しい歩調だった。………低い声で、平常かねて……などにみるあンな軽い溌溂はつらつさのないのが、スクむような感じだった。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
そして鶏の脚——と考えて外套がいとうのポケットの中で指をむずむずさせた。あのぶつぶつのある、刀のさやに使う鮫皮さめかわのような、黄色に赤を混ぜたような。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
私は外套がいとうを脱ぎすてると、ぱちぱち音をたてて燃えている丸太のそばへ肘掛椅子ひじかけいすをひきよせて、この家の主人たちの帰ってくるのを気長に待っていた。
黄金虫 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
彼は帽子をちょっと斜めにかぶっており、クリスマスに飾る常緑樹の大きな束を外套がいとうのボタンの穴にさしていた。
駅馬車 (新字新仮名) / ワシントン・アーヴィング(著)
主人の着故きふるしめく、茶の短い外套がいとうをはおり、はしばしを連翹色れんぎょういろに染めた、薔薇色ばらいろの頸巻をまいて、金モールの抹額もこうをつけた黒帽を眉深まぶかにかぶッていた。
あいびき (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
外套がいとうの袖で軽く払うと、白い虫は消えるように地に落ちた。わたしは子供の時の癖がせなかったのである。(明治43・11俳誌「木太刀」、その他)
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
タッジオは金ボタンのついた濃紺の短かい水夫式外套がいとうを着て、頭にはそれとそろいのふちなし帽をかぶっていた。太陽もしおかぜもかれをやかなかった。
私はその辺の枝を折って、なんなく釣竿つりざおをこしらえる。外套がいとうにピンが一本さしてある。それを曲げて釣針にする。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
肩や胸には金モオルがこてこてと光っている。それに外套がいとう仰山ぎょうさんさには一同びっくりした。こんな物を引掛けては小さい人力車じんりきしゃなどには乗れそうもない。
私は総理大臣にラブレターを出してみようかと思う。夜、ゴオゴリの鼻を読む。鼻が外套がいとうを着てさすらってゆく。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
彼は、口の中で自分をののしると、グッと外套がいとうのポケットに手を突っ込み、又、ひょこりひょこりとあるき出した。
自殺 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
最後の拍手とともに人びとが外套がいとうと帽子を持って席を立ちはじめる会の終わりを、私は病気のような寂寥感せきりょうかんで人びとの肩にして出口の方へ動いて行った。
器楽的幻覚 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
彼が意識を恢復した時に外套がいとうの上に積っていた雪の厚さから察すると、少なくも一時間以上もたっていたであろう。彼は無言のままふらふらと起き上った。
犠牲者 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)