“駒城(巨黍県)”の解説
巨黍県(コソけん、コソヒョン、ko: 거서현)は、現代の大韓民国龍仁市水枝区と器興区の一帯に、新羅時代に存在していたかつての行政区域の名称であるが、その後の高句麗時代には、後の龍仁の地名は駒城(クソン、구성)であり、別名で滅烏(ミョロ、멸오)ともいった。新羅の景徳王の時代に、全国に郡県制を整備し、地名を変えて漢州の領県とした。 「駒城」のもともとの意味は「大きい城」または「高い城」であるが、「巨黍」も大きいという意味である。『大東地誌』ではその改称の時期について、757年(景徳王16年)と具体的に述べている。
(出典:Wikipedia)
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