靱負ゆきえ)” の例文
弥十郎の下に小三郎という弟と、みはるという妹がいたが、弟は母の実家の松沢へ養子にゆき、妹は去年十六歳で小島靱負ゆきえにとついだ。
屏風はたたまれた (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「赤山靱負ゆきえ殿、山田一郎右衛門殿、高崎五郎左衛門殿、など——今度の異変にて、夜の目も寝ずに御心痛でござる」
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
「唯今彼人世を早ふせば、天下の勢も如何に変り行ならむか、公私につき憂はしき事の限にぞある」と云つたことが、用人中根靱負ゆきえの記に見えてゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
玉虫靱負ゆきえは、立花出雲守の公用人だった。一間に案内されて、待っていた。
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
また老臣重職のうち染谷靱負ゆきえ、岡安益左衛門の二人は登城したが、他の人たちは門を閉めて、屋敷にひきこもったまま出ない。ということであった。
初夜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
越前国福井の城主松平越前守慶永よしながは匙医半井なからゐ仲庵をして正弘の病を問はしめ、蘭医方を用ゐしめようとした。福井藩用人中根靱負ゆきえの記にかう云つてある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
小松は十八歳のとき、望まれて百樹家へ嫁した、百樹は二百五十石の寄合組であるが、良人の靱負ゆきえはすでに用人格で、俊才という評判の高い人物だった。
日本婦道記:風鈴 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
靱負ゆきえは口の重い老人で、酒もあまり飲まず、おとなしく七十郎の相手になっているばかりだったが、やや暫くして、相談はどうきまったか、と気遣わしげに訊いた。
接待で茶菓のもてなしがあり、川本靱負ゆきえという家老が挨拶に出た。去定は茶にも手をつけず、挨拶が終るとすぐに、「今日は薬礼をもらって帰るから御用意を願いたい」
金之助は四人の老臣と共に国許へ送られ、そのまま大寄合の佐竹靱負ゆきえに預けられた、靱負は由利江の父の弟で、沢渡とも昔から往来があり、金之助もたびたび会ったことがある。
落ち梅記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「松川、——」と銕太郎がゆっくり反問した、「松川靱負ゆきえか」
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
新左衛門は聞きながして、靱負ゆきえおるか、と呼んだ。