青楓せいふう)” の例文
青楓せいふう論と題しながら遂に一種の頌辞しょうじのようなものになってしまった。しかしあらを捜したり皮肉をいうばかりが批評でもあるまい。
漱石先生は傍らにおられた津田青楓せいふう氏に、その中から出して捺してあげておくれと、種々な印が、沢山にはいっていた袋——たしか袋だったと思ったが——を差示された。
古い暦:私と坪内先生 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
郷里の父母の同意を辛うじて得て東京にとどまり、太平洋絵画研究所に通学して油絵を学び、当時の新興画家であつた中村つね、斎藤与里治、津田青楓せいふうの諸氏に出入して其の影響をうけ、又一方
智恵子抄 (新字旧仮名) / 高村光太郎(著)