雅楽頭うたのかみ)” の例文
旧字:雅樂頭
すれば、酒井雅楽頭うたのかみが黙ってはおるまい、必ず老中を動かして、六十万石に手をつけるであろう、断じてならぬと申しつけておいた
酒井雅楽頭うたのかみが代理として御礼に上京することになったが、酒井の屋敷は手狭なので、堂上方はじめの訪問を受けるには不便とあって、我藩の屋敷を借りたいと申込まれ
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
酒井雅楽頭うたのかみ、酒井讃岐守、並に老中の邸で会議を開いたのであったが、寛永十二年十一月十日に評定衆の任命があり、同じ年の十二月二日からは評定所で会議を開き、それより毎月二日、十二日
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
おめみえは黒書院でおこなわれ、先導役は、老中阿部豊後守ぶんごのかみ、披露役は酒井雅楽頭うたのかみであった。献上品は友成の太刀たち、白銀三百枚、時服二十領。
雅楽頭うたのかみほどの人物が、兵部宗勝などを近づけ、兵部の子に自分の養女をめあわせ、一万石の直参じきさん大名にしたのはなぜか。
甲斐を使者に選んだのは後見役の伊達兵部と田村右京であり、二人は正使の甲斐とともに千代田城の白書院に出、老中の酒井雅楽頭うたのかみに目録を披露した。
ほぼ同じころ、下馬さきの酒井邸では、常着のままの雅楽頭うたのかみが、ただひとり客間に坐って、宙をにらんでいた。
老中の酒井雅楽頭うたのかみから注意が来ている、——十日目にですよ、いったい雅楽頭はどうしてそれを知ったんですか、雅楽頭は新吉原の目付でもしているんですかね
それは、老中の酒井雅楽頭うたのかみ(忠清)と、伊達兵部少輔宗勝ひょうぶしょうゆうむねかつとが結託のうえ、仙台六十万石を横領しようとして、その計画を現にすすめている、というのであった。
その帰途、思いがけないことで、一人の婦人を助けたところ、その婦人は同じ酒井家の本邸で雅楽頭うたのかみづきの腰元を勤めており、私を見知っているとのことであった。
列座は、井伊掃部守かもんのかみ、酒井雅楽頭うたのかみ、阿部豊後守ぶんごのかみ、稲葉美濃守みののかみ久世大和守くぜやまとのかみ、土屋但馬守たじまのかみの諸侯であった
雅楽頭うたのかみ忠清とその側近の動静を監視するためで、この屋敷の人たちとはかたき同士という立場にあるし、現にもう、滝尾の手によって密契の証文をぬすみだしている。