“険道(酷道)”の解説
酷道(こくどう)は、日本の道路の俗語で、一般国道のうち乗用車による通行が困難であるなど文字通り「酷(ひど)い状態の国道」を「国道」の読み(こくどう)にかけて揶揄したもの。古くは1930年(昭和5年)の用例が確認されており1930年に徳田茂が雑誌『道路の改良』第12巻11号に発表した「東北を一巡して」に、秋田県の国道・県道について「某新聞から秋田県の酷道険道の名称を附せられたのも亦故なきにあらずだ」(p. 106、「酷道険道」の脇に強調の傍点あり)との言及があり、昭和5年以前から「酷道険道」との呼び方があった傍証となる。『道路の改良』は道路改良会(現在の公益社団法人日本道路協会)の発行、内務省の土木技術官僚が寄稿していた専門誌(1920年 – 1944年刊行)。全号が土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブスでインターネット公開されている。、1958年(昭和33年)の阿川弘之の紀行文『東北国道二千キロ』、道路地図『ツーリングマップルR 九州・沖縄』(昭文社 2007年1版1刷 ISBN 978-4-398-65707-7)国道265号の旧道である国見峠に対して用いられている。国見峠が国道265号の路線として指定されていた時代に発刊された『ツーリングマップ』1991年版も同様。や自治体史、新聞、紀行記、国会発言1960年(昭和35年)5月11日の衆議院地方行政委員会(第34回国会)で安井吉典議員が、交通事故の原因の一端は道路環境にもあるとして週刊雑誌を引用し「この週刊雑誌を読んで見ますと [...] 日本の道路の悪口をこう書いてあります。日本の国道は酷道だ、県道というのは険道、市道というのは死道、町道は懲道、村道は損道と書いてあります。特に胃腸返し道路というようなことがあって、これは胃と腸がひっくり返るという意味だそうです。これは特に言い方がひどいわけでありますが、しかし、これがまんざらうそでもないといったような面も多分にあると思います。」と当時の道路事情を紹介している。その他に、1969年(昭和44年)2月28日の参議院産業公害及び交通対策特別委員会(第61回国会)での「少なくとも、能登線〔※現在ののと鉄道能登線〕に竝行〔並行〕する国道の中において、道幅が驚くなかれ、4.5ないし7.5というところがあります。10.9キロにわたる国道249号線の一部であります。かつまた、5.5ないし7.7という国道があるわけです。国道じゃない、酷道だと思いますが。」(杉原一雄議員発言)などが見られる。にも使用例がみられる。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)