さうして此下に、天子の召使とも見える采女が居た。宮廷の采女は、郡領の娘を徴して、ある期間宮廷に立ち廻らせられたものである。
つまり、「采女は官女の称なるを義を以てタヲヤメに借りたるなり」(美夫君志)という説を全然否定しないのである。
後期王朝初頭に於いて、民間に設ける事を禁じた采女制度は、古くは宮廷同様国々の豪族の上にも行はれた事なのである。
まらうどに、早く酒を獻じなさい、と言つてゐる間に、美しい采女が、盃を額より高く捧げて出た。
“采女”の意味
《名詞》
(さいじょ 中国歴史)漢代における、民衆から採用した女官。
(さいじょ 中国歴史)後宮の下級の女官。
(うねめ)主に飛鳥時代から奈良時代において、宮中に伺候し、天皇や皇后の身の回りの世話をした女官。「うねべ」。
(出典:Wiktionary)
(出典:Wiktionary)
“采女”の解説
采女(うねめ/さいじょ)とは、後宮の女官の職役名。
中国における采女(さいじょ)は、前漢以降の王朝にみられる職制(ただし唐制にはみられない)。
日本における采女(うねめ)は、朝廷において、天皇や皇后に近侍し、食事など身の回りの庶事を専門に行った女官のこと。平安時代初頭までの官職。
(出典:Wikipedia)
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