道斎どうさい)” の例文
万福寺殿昌屋常久禅定門まんぷくじでんしょうおくじょうきゅうぜんじょうもん、俗名青山次郎左衛門、隠居しての名を道斎どうさいと呼んだ人が、自分で建立した寺の墓地に眠ったのは、天正てんしょう十二年の昔にあたる。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
天草あまくさで習ったオランダ風のかざりを応用して、精巧な鈴を作ることを工夫し、芳村道斎どうさいと名乗って江戸中の好事家こうずかの人気を集めましたが、名人業であまりお宝にはならず、年中貧乏を看板に、女房一人
それは万福寺を建立した青山道斎どうさいの形見だ。万福寺殿昌屋常久禅定門まんぷくじでんしょうおくじょうきゅうぜんじょうもんの文字が深く刻まれてある古い墓石だ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この改典は廃仏を意味する。これはさすがの松雲をも驚かした。なぜかなら、この万福寺を建立こんりゅうしたそもそもの人は、そういう半蔵が祖先の青山道斎どうさいだからである。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)