般若寺はんにゃじ)” の例文
なぜなら、正成が大和の般若寺はんにゃじへたどりつくいぜんに、宮の潜伏は、はや幕軍の知るところとなっていたからである。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
刑後、重衡の首は、治承の戦に伽藍がらんを焼き亡ぼした時に陣を敷いた般若寺はんにゃじの大鳥居の前に釘づけにしてさらされた。
三人に槍三本、鉄砲一挺、半弓一張とちゃんと格式を守って大手を振っているのである。若党、小姓、足軽、人足合せて二十人、奈良般若寺はんにゃじ口から坂道を登り木津から、笠置を経て、笠置街道を進む。
鍵屋の辻 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
昔、醍醐だいご帝の御代、御夢に弘法大師が現われ、檜皮色ひはだいろの御衣を着せるようにというお告げがあった。勅使中納言資澄すけすみ般若寺はんにゃじの僧観賢かんけんを連れて、高野山に上り、御廟ごびょうとびらを押し開いた。
「いや、そこへは寄らぬ。あくまで女子供の巣は世の外にそっとしておきたい。……さし当って後図こうとを立てるいとまもないが、大塔ノ宮の隠れおわす大和の般若寺はんにゃじへさして行こうと思う」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足助あすけ次郎が、幕府方の荒尾兄弟を射て取り、般若寺はんにゃじの本性坊が、寄せ手の頭上に、大石の雨を降らせて、天皇旗の下に、二度の凱歌をわき上がらせたのも、この日につづいた合戦の中だった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)