稻置いなき)” の例文
次にシキツ彦の命の御子がお二方あつて、お一方の子孫は、伊賀の須知の稻置いなき那婆理なはりの稻置・三野の稻置の祖先です。
他の七十七王は悉く諸國の國のみやつこわけ稻置いなき縣主あがたぬし等としてお分け遊ばされました。
この天皇の御子たち并せて、三柱の中、大倭日子鉏友の命は、天の下治らしめしき。次に師木津日子の命の御子二柱ます。一柱の子孫は、伊賀の須知の稻置いなき、那婆理の稻置、三野の稻置が祖なり。
このミマツ彦カヱシネの命は天下をお治めなさいました。次にタギシ彦の命は、血沼ちぬわけ多遲麻たじまの竹の別・葦井あしい稻置いなきの祖先です。天皇は御年四十五歳、御陵は畝傍山のマナゴ谷の上にあります。