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登美
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とみ
かれその國より上り
行でます時に、
浪速の
渡一を經て、青雲
二の
白肩の津
三に
泊てたまひき。この時に、
登美の
那賀須泥毘古四、軍を興して、待ち向へて戰ふ。
それでアケタツの王に、「大和は
師木、
登美の
豐朝倉のアケタツの王」という名前を下さいました。
ここに
登美毘古と戰ひたまひし時に、
五瀬の命、御手に登美毘古が
痛矢串を負はしき。
ここにその
曙立の王に、
倭は
師木の
登美の
豐朝倉の
曙立の王といふ名を賜ひき。すなはち
曙立の王
菟上の王
二王を、その御子に副へて遣しし時に、
那良戸一四よりは
跛、
盲遇はむ。