狐惑こわく)” の例文
東海道箱根山上にて狐惑こわくの一事を聞きしことがある。それは今より三十四、五年前の出来事で、余が箱根滞在中に起こった事実談である。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
七島にはきつねがおらぬから、狐惑こわくや狐きの話はない。その代わりに大島ではいたちにだまさるると申しておる。また、八丈では山猫にだまさるるとの説がある。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
さて、狐惑こわく、狐憑きの説明につきては、物理的方面と心理的方面との両様より考えなければならぬ。
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
されば、管狐、人狐、犬神、トウビョウ等は、これを説明するに総括して同一種と見て差し支えない。つまり、世のいわゆる狐惑こわくきつね憑きと同じ道理をもって説明ができるわけである。
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
世に狐惑こわく談多き中には、かくのごときの類もすくなくなかろうと思う。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
例えば狐惑こわく狐憑きつねつきのごとき、幽霊のごとき、みな心より呼び起こすところの妖怪である。されば、心は妖怪の母と申してよろしい。そのうえに、妖怪を見て妖怪と知るはみな心の作用に相違ない。
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)