“漆谷(漆谷郡)”の解説
漆谷郡(チルゴクぐん、韓国語表記:칠곡군)は、大韓民国慶尚北道の南西部にある郡である。大邱広域市に隣接し、洛東江両岸の平野では近郊農業や畜産業が営まれるほか、大邱広域市、亀尾市へ通勤するためのベッドタウン化が進んでいる。また繊維取引の多い大邱市と電子工業の盛んな亀尾市に接するため、繊維工場や電子部品工場が多く、高速道路を生かした内陸の物流拠点ともなっている。
中心地は倭館邑。郡の名の由来となった漆谷邑は現在、大邱広域市北区に編入されている。
朝鮮戦争では1950年夏の釜山橋頭堡の戦いの激戦地となった。倭館は洛東江防御線の要地であり、北朝鮮軍と国連軍が争奪する前線となった。架山面の多富里は北の安東方面から大邱へ続く山道が通る谷間で、ボウリング場の戦い(多富洞の戦い)と呼ばれる熾烈な戦闘が行われた。
(出典:Wikipedia)
中心地は倭館邑。郡の名の由来となった漆谷邑は現在、大邱広域市北区に編入されている。
朝鮮戦争では1950年夏の釜山橋頭堡の戦いの激戦地となった。倭館は洛東江防御線の要地であり、北朝鮮軍と国連軍が争奪する前線となった。架山面の多富里は北の安東方面から大邱へ続く山道が通る谷間で、ボウリング場の戦い(多富洞の戦い)と呼ばれる熾烈な戦闘が行われた。
(出典:Wikipedia)