などと明石は淑景舎に言った。姫君は涙ぐんで聞いていた。実母に対しても打ち解けたふうができず、おとなしくものの多く言われない姫君なのである。
“淑景舎”の解説
淑景舎(しげいしゃ・しげいさ)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。庭に桐が植えてあることから桐壺(きりつぼ)の別名がある。
内裏の北東に位置し、南北二棟がある。(北は淑景北舎) 宣耀殿の東、昭陽舎の北。
天皇の住まう清涼殿から最も遠い位置にあり、また、清涼殿に向かう際もほかの殿舎の前を通る渡り廊下を通らねばならないなど不便な配置である。そのためか、実際には天皇の女御や更衣が居住したという記録は殆どなく、むしろ摂政の直廬(じきろ、詰め所)などに利用されることが多かったようである。
淑景舎を賜っていたことで知られるのは、三条天皇の東宮時代の女御・藤原原子(藤原道隆女)。
(出典:Wikipedia)
内裏の北東に位置し、南北二棟がある。(北は淑景北舎) 宣耀殿の東、昭陽舎の北。
天皇の住まう清涼殿から最も遠い位置にあり、また、清涼殿に向かう際もほかの殿舎の前を通る渡り廊下を通らねばならないなど不便な配置である。そのためか、実際には天皇の女御や更衣が居住したという記録は殆どなく、むしろ摂政の直廬(じきろ、詰め所)などに利用されることが多かったようである。
淑景舎を賜っていたことで知られるのは、三条天皇の東宮時代の女御・藤原原子(藤原道隆女)。
(出典:Wikipedia)