“法諡(はふし)” の例文
明和五年八月二十八日に父信政に先(さきだ)つて歿し、長谷寺に葬られた。法諡(はふし)を万昌軒久山常栄信士と云ふ。信政は時に年五十七であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
法諡(はふし)宗経軒京水瑞英居士である。文政四年の自記に「仏諡可用宗経」と云つてあつた。此諡(おくりな)には僧侶の撰んだ文字は一字も無い。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
法諡(はふし)して徳源院譲誉礼仕政義居士と云ふ。墓は新光明寺にあつて、「明治三十五年七月建伊沢家施主八幡祐観(やはたいうくわん)」と彫(ゑ)つてある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)