楠木正行くすのきまさつら)” の例文
すべて故正成の遺子わすれがたみ楠木正行くすのきまさつらの行動にあたるためだった。しかも山名、細川の大軍も、天王寺附近で大敗北を喫し、都の年暮くれは騒然たるものに変っていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
むかし楠木正行くすのきまさつらが吉野の宮居みやい弁之内侍べんのないじたまわるとのちょくを拝辞してんだという和歌である。時と人こそちがえ、人々は幸右衛門の心根を充分にみとることができた。
なお分らなければ、わしの書斎までござれ。むかし楠木正行くすのきまさつらが渡辺橋の合戦の折、足利あしかがの大軍を討って、暗夜の河中に溺れんとした足利の兵を救いあげてさとしおる一条が——あの太平記の中にある。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)