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桂山
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けいざん
茝庭、名は
元堅、
字は
亦柔、一に
三松と号す。通称は
安叔、
後楽真院また楽春院という。寛政七年に
桂山の次男に生れた。
それゆゑに我国の多紀氏に、
桂山茝庭の父子が
相踵いで出でたのは、漢医方の後勁とすべきである。
本家では
桂山、名は元
簡、字は
廉夫が、抽斎の生れた文化二年には五十一歳、その子
柳沜、名は
胤、字は
奕禧が十七歳、末家では
茝庭、名は
元堅、字は
亦柔が十一歳になっていた。
抽斎が講師になった時には、もう玉池が死に、子
藍渓、孫
桂山、曾孫
柳沜が死に、玄孫
暁湖の代になっていた。抽斎と親しかった桂山の二男
茝庭は、分家して館に勤めていたのである。