昌景まさかげ)” の例文
が、城陥ると共に、病を獲て、兵を収めて信州に入り、病を養ったが遂に立たず老将山県昌景まさかげを呼んで、「明日旗を瀬田に立てよ」と云いながら瞑目した。
長篠合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「御出陣の前に、美濃守みののかみどのと、昌景まさかげどのが、しばしの間、お目通りを仰ぎたいと、申し出られておりますが」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信玄以来の宿将、馬場美濃守信房、内藤修理昌豊、山県三郎兵衛昌景まさかげ等は、これを不可であるとした。
長篠合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
この一手切てぎりの体当りをうけた甲軍の隊は、山県三郎兵衛昌景まさかげ麾下きかだった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それかあらぬか、今朝から城内へ通った人々では、一族の孫六入道逍遥軒まごろくにゅうどうしょうようけんをはじめ、穴山梅雪あなやまばいせつ仁科信盛にしなのぶもり、山県三郎兵衛昌景まさかげ、内藤修理しゅり昌豊まさとよ小幡信定おばたのぶさだ、小山田備中守などの譜代などがあった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武田信廉のぶかど、原隼人はやと、内藤修理、菅沼刑部すがぬまぎょうぶなどの隊が見うけられ、左翼にも三千あまり武田信豊、山県昌景まさかげ、小山田信茂、跡部勝資あとべかつすけなどの旗幟はたじるしが望まれ、また、右翼としては、穴山梅雪、馬場信房
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)