“惟宣”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
これのぶ50.0%
ゐせん50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
山陽が広島杉木小路の家をはしつたのは九月五日である。豊田郡竹原で山陽の祖父又十郎惟清これきよの弟伝五郎惟宣これのぶが歿したので、梅颸ばいしは山陽をくやみに遣つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
わたくしはこれを頼家の事に明い人々にたゞした。木崎好尚きざきかうしやうさんは頼遷は即頼公遷であらうと云ふ。公遷号は養堂、通称は千蔵である。山陽の祖父又十郎惟清これきよの弟伝五郎惟宣これのぶの子である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
即ち惟宣ゐせん融巌ゆうがん、公遷は竹里、かうは立斎である。思ふにわたくしに竹里の公遷たることを教へむと欲したものであらうか。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)