トップ
>
大燈国師
>
だいとうこくし
ふりがな文庫
“
大燈国師
(
だいとうこくし
)” の例文
旧字:
大燈國師
宗助は始め
夢窓国師
(
むそうこくし
)
の
何人
(
なんびと
)
なるかを知らなかった。宜道からこの夢窓国師と
大燈国師
(
だいとうこくし
)
とは、禅門中興の祖であると云う事を教わったのである。
門
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
かの
大燈国師
(
だいとうこくし
)
のごときも同じく五条の橋の下でしばらく
乞食
(
こじき
)
を相手に修養をしておられたので、その時の作になる
貧乏物語
(新字新仮名)
/
河上肇
(著)
大徳寺開山
大燈国師
(
だいとうこくし
)
三百年忌のため
上洛
(
じょうらく
)
を許され、或いは郷国但馬に入湯したりして、たまさかの消息が交わされるに過ぎなかったが、十六年四月に至って
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
南浦紹明
(
なんぽじょうみょう
)
(大応国師)は、宋の
虚堂
(
きどう
)
の
法嗣
(
はっす
)
で
大燈国師
(
だいとうこくし
)
のお師匠さん、建長寺の
蘭渓道隆
(
らんけいどうりゅう
)
の門に参じたことがあり、宋から帰って後に筑前の崇福寺におること三十年、関西を風靡した。
南浦紹明墨蹟
(新字新仮名)
/
北大路魯山人
(著)
主人は禅坊主が
大燈国師
(
だいとうこくし
)
の
遺誡
(
ゆいかい
)
を読むような声を出して読み始める。
吾輩は猫である
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
“大燈国師(宗峰妙超)”の解説
宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう、弘安5年12月7日(1283年1月7日) - 延元2年 / 建武4年12月22日(1338年1月13日))は、鎌倉時代末期の臨済宗の僧。一般には大燈国師の名で知られている。
諱は妙超、道号は宗峰。播磨(兵庫県)の出身。同国浦上荘の豪族・浦上氏の一族・浦上一国(掃部入道覚性)と赤松則村(円心)の姉との間に生まれた。朝廷から興禅大灯、高照正灯の国師号が与えられた。京都の大徳寺の開山。
(出典:Wikipedia)
大
常用漢字
小1
部首:⼤
3画
燈
部首:⽕
16画
国
常用漢字
小2
部首:⼞
8画
師
常用漢字
小5
部首:⼱
10画
“大燈”で始まる語句
大燈籠
大燈國師
大燈