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大政
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たいせい
慶応三年の冬、此年頃
醞醸せられてゐた世変が
漸く成熟の期に達して、徳川
慶喜は
大政を奉還し、将軍の職を辞した。
一時日本に亡命の
客たりし
朴泳孝氏らも
大政に参与し、威権
赫々たる時なりければ、日本よりも
星亨、
岡本柳之助氏ら、その
聘に応じて朝廷の顧問となり
ところで、一方の京都に於ては、慶喜公は既に
大政を返上された。けれども以後の政治には、
御自分等も
與かつて、天下の公議で事を裁決しやうといふ
御腹であつたのに、其年の十二月九日の
夜。