大山寺だいせんじ)” の例文
隠岐のみかどには、早や隠岐ノ島にはおわさぬらしい。同所の宮方や海賊衆にまもられ、かねて藤房卿がよろしくしておかれた播磨はりま伯耆ほうき大山寺だいせんじ
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……そこでいま申したことだが、後醍醐のきみが、伯耆ほうきあたりに御安着とすれば、それは播磨、伯耆の二つの大山寺だいせんじによって守られ、ただちに勅のげきは四方へ飛ぶ。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
播磨の赤松円心は、とうに宮方同心の一族ではあり、かねて播磨の大山寺だいせんじと伯耆の大山寺のあいだに立って、帝を船上山に迎える暗躍を果たしていた一人でもあったが
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北日本海第一の大岳といわれる大山だいせんのふもとに住み、王朝藤原氏が盛んなころにできた大山寺だいせんじ三輪明神みわみょうじん修験しゅげんの大道場などを背景に、神領の領家りょうけとして富んできた一族。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高野こうやもある、伯耆ほうき大山寺だいせんじもある。叡山えいざん、奈良はいうまでもない。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)