勘右衛門かんえもん)” の例文
旧字:勘右衞門
新村は隣り屋敷で、家格は岸島よりやや低く、あるじ勘右衛門かんえもんは七百二十石の中老を勤め、夫婦のあいだに二男一女があり、末娘の七重ななえと出三郎とは幼なじみであった。
艶書 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それは明治十五六年ごろの秋のことであった。ある日、一人の旅僧が飄然ひょうぜんとやって来て、勘右衛門かんえもんという部落でも一番奥にある猟師の家の門口に立って、一夜の宿をうた。
風呂供養の話 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
岡本况斎、名は保孝ほうこう、通称は初め勘右衛門かんえもん、後縫殿助ぬいのすけであった。拙誠堂せつせいどうの別号がある。幕府の儒員に列せられた。『荀子じゅんし』、『韓非子かんぴし』、『淮南子えなんじ』等の考証を作り、かたわら国典にも通じていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)