功夫くふう)” の例文
横井は実学を唱う、物にいたりて知をいたすは、彼が学問の功夫くふうなりといえども、彼の彼たる所以は、「神智霊覚湧きて泉の如き」直覚的大活眼かつがんにあるなり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
かの道得のなかに、むかしも修行し証究す、いまも功夫くふう弁道はんとうす。仏祖の仏祖を功夫して仏祖の道得を
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
横井一生の功夫くふう、総合大観にあり、佐久間の学問は、かえって解剖分析より得来る。横井は天理人情の大妙理を看取し、開国論を唱え、佐久間は国防軍備の大経綸よりして、無謀攘夷じょういの非を論ず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
「仏性の道理は、仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず。成仏よりのちに具足するなり。仏性かならず成仏と同参するなり。この道理よくよく参究功夫くふうすべし。二三十年も功夫参学すべし」(仏性、第五段)。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
また以て彼が功夫くふうの存する所をるべし。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)