信栄のぶなが)” の例文
権蔵は法諡はふしを四時軒自性如春居士と云つて、天明四年正月十一日に歿した。其妻即信階の母は善室英証大姉と云つて、明和五年五月十三日に歿した。信栄のぶながの死にさきだつこと僅に百零三日である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
信階のぶしなの家督相続は猶摂主の如きものであつた。先代信栄のぶながの子信美のぶよしが長ずるに及んで、信階はこれに家を譲つた。此更迭は何年であつたか記載を闕いでゐるが、安永六年前であつたことは明である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
二子は信栄のぶながと云ひ、金十郎と云ふ。一女の名は曾能そのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)