丙辰へいしん)” の例文
わたくしは『幽林先生遺稿』を尾張丹羽郡の鷲津家から借り得てこれを閲読した。行状の中には年号干支に天明丙辰へいしんとなしたるが如き伝写の誤がある。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
藩士尊攘派の独自的結成は水戸で水長藩士の丙辰へいしん丸会盟、関西ではもっと大仕掛に薩——寺田屋で藩主改良派の手で殺された——長、土、肥、筑前ちくぜん筑後ちくごの諸藩士および浪士
尊攘戦略史 (新字新仮名) / 服部之総(著)
安政三年丙辰へいしん 七月、家学かがくを教授す〔松下村塾しょうかそんじゅく成る〕。七月、米国総領事ハリス来る。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
三譽妙清樣小石川御屋形江御上おんやかたへおんあがり之節縫箔ぬひはくの振袖、其頃の小唄にたんだ振れ/\六尺袖をと唄ひし物是也これなり、享保十一年丙辰へいしん六月七日死、生年不詳、家説を以て考ふれば寛文年間なるべし
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
天文てんもん二十四年は十月に改元があって弘治こうじ元年となり、織部正の身にいやな災難がつゞけざまに見舞った一年も過ぎて、明くれば弘治二年丙辰へいしんの正月となったが、参賀の諸侍が初春の祝儀を述べても
「誠月妙貞大※、安政三年丙辰へいしん七月十二日」
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)