“れいと”の漢字の書き方と例文
語句割合
令図100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
柏軒が此年甲寅に首唱して、矢島優善やすよし、塩田良三りやうさんの二人が計画し、小野令図れいとの家の祝のために催す茶番の事は、塩田氏の語る所が猶残つてゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
令図れいとと倶に白水真人はくすゐしんじんを尊崇してゐた富穀が、「火事沙汰等も無御坐、第一之大悦に御坐候」と云つたのは妙である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
塩田氏は此年甲寅に小野令図れいとの家に催された茶番の事を語ること前記の如くであつた。茶番が此の如く当時の士人の家に行はれたのは、文明史上の事実である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
小野氏ではこの年令図れいとが致仕して、子富穀ふこくが家督した。令図は小字おさなな慶次郎けいじろうという。抽斎の祖父本皓ほんこうの庶子で、母を横田氏よのという。よのは武蔵国川越かわごえの人某のむすめである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
本皓には庶子があって、名を令図れいとといったが、渋江氏をぐには特に学芸に長じた人が欲しいというので、本皓は令図を同藩の医小野道秀おのどうしゅうもとへ養子にって、別に継嗣けいしを求めた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
小野氏ではこの年十二月十二日に、隠居令図れいとが八十歳で歿した。五年ぜんに致仕して富穀ふこくに家を継がせていたのである。小野氏の財産は令図のたくわえたのが一万両を超えていたそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)