“ひのくま”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ヒノクマ
語句割合
檜坰25.0%
檜前25.0%
檜熊25.0%
檜隈25.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
いろと建小廣國押楯たけをひろくにおしたての命檜坰ひのくま廬入野いほりのの宮にましまして、天の下治らしめしき。
この天皇、檜坰ひのくまの天皇の御子、石比賣の命に娶ひて、生みませる御子、八田やたの王、次に沼名倉太玉敷ぬなくらふとたましきの命、次に笠縫かさぬひの王三柱。またその弟小石比賣の命に娶ひて、生みませる御子、かみの王一柱。
いまきは応神天皇の御代に阿智使主が十七県の党類を率いて来帰し、檜前ひのくま村を賜わった、新来の帰化人を居らしめたので今来の地名が生じたのである、今の高市郡はもと今来郡であった。雄略天皇の
マル及ムレについて (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
縁起えんぎをいうと、その昔、隅田川すみだがわをまだ宮戸川といった頃、土師臣中知はじのおみなかともといえる人、家来の檜熊ひのくま浜成はまなり竹成たけなりという両人の者を従え、この大河に網打ちに出掛けたところ
弟のタケヲヒロクニオシタテの命(宣化天皇)、大和の檜隈ひのくま廬入野いおりのの宮においでになつて、天下をお治めなさいました。